
ヘッジファンドマネージャーというものは、偏屈な人物が多いのは確かです。
興味があるのは利益だけ、ビジネスパーソンには必須のコミュニケーションスキルには何の関心も示しません。
社交センスを磨いてもポートフォリオは変わらない、というわけです。
ムーア・キャピタルの総帥ルイス・ベーコンの部下は、「トレード・ボードの背後から指示を出す姿はオズの魔法使いを彷彿させた」と振り返ります。
それでも、ルイスが特別だったわけではないようです。
そんな中で、ジュリアン・ロバートソンは異彩を放っていました。
この南部風の陽気な男が率いるタイガー・マネジメントはバリュー投資で一躍名を馳せ、ジュリアン自身はジョージ・ソロスやマイケル・スタインハルトと共に「三賢人」に並び称されました。
賞賛すべきは、多くの遺伝子を残したことです。タイガーは多くのヘッジファンドマネージャーを育て、彼らの多くは今も一線級で活躍しています。
今回のコラムは、そんなジュリアン・ロバートソンがたどる栄光と挫折の物語です。
ありきたりのバリュー投資でナゼか高リターン
タイガーマネジメントは1980年の創業から1998年の絶頂期まで年平均31.7%(手数料控除後)を叩き出しました。
この間のS&P指数の年間平均上昇率が12.7%であったことを考えると、まさに驚異的。
ジョージ・ソロスには「再帰性理論」の実践、スタインハルトにはブロックトレードといったように、高いリターンを産むファンドは独自の投資ロジックに支えられています。
一方、タイガーマネジメントの投資スタイルは「バリュー投資」、企業やその業界の成長性を徹底的に分析し、割安(逆に割高)に放置されてる銘柄を見つけ出すというものです。
まさに、初心者投資家でも知っているような「いろはのい」です。
この投資スタイルで高いリターンを稼ぐには、卓抜した分析力しかありえません。では、どうしてタイガーにだけそれが可能だったのでしょうか。
まるで体育会のタイガー軍団
海軍にも在籍していたロバートソンは筋骨隆々、スポーツマン中のスポーツマンを自認するというヘッジファンドの中では珍しい人物です。
ビジネス面でもフィジカルな強さを重視する彼は、採用にもその考えを貫きます。
タイガー・マネジメントの恒例行事は、アイダホ州ソートゥース山脈におけるハードな山登り、そしてレースでした。
ロバートソンはこうした社風を通じて組織の一体感を醸成しようとしたのかもしれません…。
タイガーの社風は会社組織よりむしろ特殊部隊に近いものでした。
そして、「司令官」ロバートソンは部下の能力を引き出すのが非常に巧みで、カロライナ出身者特有の人柄で周りを惹きつけます。
部下たちは司令官に認められたくて、徹底的に考え・分析し、相場で勝とうとするのです。
そして軍団で鍛えられた部下たちは、その後頭角を現すことになります。
幅広い人脈が生んだ情報収集力
ロバートソンのヘッジファンドらしからぬ社交性は、社外のキーマンたちを引き寄せます。
NBAチーム・シカゴブルズのオーナー、殿堂入りゴルファーのジャック・ニクラウス、さらにはビル・クリントン大統領にまで会うことができました。
もちろん金融や産業界の大物たちとも密に接し、彼らの意見を引き出していました。
決してインサイダーいうわけではありませんが、ロバートソンは入手した情報を取引に役立てたといいます。
ちなみに、こんな逸話もあります。
ある日ロバートソンはとある会社のCEOと一緒にゴルフをしていたそうで、プレーの最中にそのCEOがちょっとしたズルをしたそうです。
それに気づいたロバートソンは、「ここの会社の株は決して買わない」と心に誓ったんだとか…。
ITバブルとタイガーの終焉
タイガー・マネジメントの破竹の勢いは止まらず、アジア危機が起きた1997年には70%に達します。
しかしそこからは風向きが急に変わり、99年には19%、翌年も14%の損失を出します。
原因は、得意分野の株式だけでなく不慣れな為替・商品などに手を広げすぎたこともありますが、致命的なのはITバブルでした。
当時シリコンバレーのIT企業はまだまだ成長途上で、業績的にはお話になりませんでした。にもかかわらずPCを通じた素人投資家の参戦もあり、IT銘柄が急騰したのです。
ロバートソンはIT相場の好調を「砂上の楼閣」とみなして、一切投資しませんでした。
そして、バリュー重視の投資姿勢を変えず、いわゆる「オールドエコノミー銘柄」中心に運用を続けます。
しかし、これが結果的に裏目に。
IT相場の勢いは止まらず、これに乗ったソロスのクオンタムファンドなどが35%のリターンを上げる一方で、タイガーのパフォーマンスは冴えません。投資家が次々と運用資産を引き上げる中で、タイガーはついに解散に追い込まれたのです。
(ちなみにITバブルはやがて崩壊、ロバートソンの見通しの正しさが証明されました)
まとめ
ジュリアン・ロバートソンのヘッジファンドとしての半世紀は、67歳にして終わりを告げました。
その後、ロバートソンはNZランドにゴルフコースをオープンしたり、ワイナリーを作ってみたりと、趣味に精を出しました。
コースの1つケープ・キッドナッパーズは、理想的な景観実現のため半島殆どを買い取ったと言われ、ゴルフのミシュラン「ゴルフマガジン」の100選にもブッキングされました。
部下たちはどうしたのでしょうか?去年のことですが、運用資産額250億ドルを誇るバイキング・グローバル・インベスターズがビッグ・データ・プラットフォームの構築に着手、ヘッジファンドのAI導入として話題を呼びました。
そしてこのファンドを率いるアンドレアス・ハルボーセンもロバートソンに仕えた1人です。
ハルボーセンだけではありません。リー・アンジー(マーベリックキャピタル)、ジョン・グリフィン(ブルーリッジキャピタル)、スティーブ・マンデル(ローン・パイン)などタイガーカブス(やんちゃな虎の子たち)は、独立後ファンドの世界で成功を果たしました。
ロバートソンの、そしてタイガーの遺伝子は細胞分裂を遂げながら、今も息づいているのです。